天命、そして伝説へ。

アラフィフのサラリーマンライター『椎間板』が、終末までに高所得者へ上り詰めるまでのプロセスについて書き綴っていくという、完全自己満ブログです。

2025年5月30日(金)「ケガの巧妙」

先日、交通事故に遭った。

とは言っても、時速30キロくらいの車にぶつかっただけなのだけど。

 


もちろん事故扱いにはせず、運転手から迷惑料というか、治療費として1万円を受け取って終わり、になるはずだったのだけど、その拍子に倒れて右肩を地面に打ちつけてしまい、今でも痛みが引かない状態なのだけどまあ問題ないかなと。

 


話のメインはそこではなくて、「事故の恩恵」って言うのかな。つまり、身を挺して受け取った利益みたいなもの。その話をしようと思う。

 

 

 

※※※

 

 

 

事故に遭ったのは、約2週間ほど前。

車の往来も少なく、人もまばらな夜の「畦道」が現場だ。

 


空腹とストレスでやさぐれていた僕の横を、徐行していたライトパンが通り過ぎ、その際に左腰がそれに当たり、倒れてしまった。

 


その拍子に右側から地面に倒れ、いわゆる打撲のような軽いケガを負ったというそれだけのこと。痛みはあるものの、五体満足だ。さらに運転手はすぐさま車を停め、僕に駆け寄って介抱してくれた。病院へ行きましょうと執拗に言われたが、未だかつての入院費用を支払うことができていない身分なので、病院はマズいと必死に断ると、中年の運転手は僕に万札を一枚渡すと、せめてもの償いとして、自身が経営する店に来て欲しいと懇願した。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

運転手は、とある居酒屋の店主だった。

とは言えそんなに立派な店ではなく、どこにでもあるような地元密着型の小さな焼き鳥屋だ。

 


鶏肉が食べられない僕にとっては有り難迷惑以外の何ものでもないのだけど、貧困による栄養失調を解消する良い機会であることは明白なので、その厚意を受けることにした。

 


期限は事故発生月から一年。

そして僕は、週一回、無料で好きなだけ飲み食いして良いというパスポートを手に入れた。

 

 

 

※※※※※

 

 

 

今夜も僕は、遠慮などせず、そこで飲み食いを続けている。

 


17時からしこたまビールを飲み、鶏肉以外のメニューを頼み続け、今に至る。

 


猶予はあと11ヶ月。通い続けたいが、さすがに良心が痛む。せいぜい月一回がいいところか。

 


幸田文の短編集を読みながら、酒を進めていく。

 


何て充実した時間なのだろうか。

問題は、その店から自宅まで、歩いて1.5時間かかることくらいか。

 


皆さんも良い夜、良い晩酌を。

 


へば。

2025年5月14日(水)「色褪せた街について」

その駅は、既に役割を終えてしまったように思える。

 


田園都市線 藤が丘駅

 


駅前にあるのは、古びた小さなショッピングセンターと、数件の飲食店だけ。

 


ロータリーには2種の路線バスとタクシーが数台控えているが、客足は寂しいものだ。前記したショッピングセンターは既に廃墟になりかけているが、老夫婦が営む一件の喫茶店は最後の灯火として、未だ粘り強く残っている。

 


一杯500円を超えるコーヒーが飛ぶように売れる筈もないが、未だ葉タバコの喫煙ができるとあり、コーヒー&シガレッツのハーモニーを愉しみたい幾人かの固定ファンは足繁く通っているようだ。

 


何を隠そう、僕がはじめてタバコを吸ったのは、その喫茶店だった。

 


通っていた高校から徒歩で20分程。知っている大人に遭遇しない丁度良い距離感だったという訳だ。

 

 

 

 

 

 

県立ながら進学校として知られた母校には、偏差値通りの優秀な生徒ばかりいて、当然の様に私はそのグループから逸脱していた。つまりは落ちこぼれだったという訳だ。

 


読書とバンド活動に勤しんだ3年間、一度として勉学に励んだ記憶はない。故に、一年間の浪人生活を経て合格した大学も二流・三流が良いところで、合格の報告に出向いた際、三年時の担任からは「大学に入れただけ凄く頑張ったじゃないか」という微妙な祝い文句をいただいた程だ。

 

 

 

※※

 

 

 

藤が丘駅には、そんな高校時代の思い出が詰まっている。

 


バンドで練習していた音楽スタジオがあり、その帰りによく立ち寄ったバッティング・センターもあった。さらに、スタジオで私服に着替え、駅前のパチンコ屋で軽く小銭を消費し、戦果を報告する場として、例の喫茶店でダベるのが常だった。

 


今はもう、喫茶店以外、全てなくなってしまった。

 


30年も経てば、街も錆びる。

 


僕はその現実を目にする度、寂しくて仕方なくなる。

 


このブログで度々登場する「田舎道のベンチ」は、何を隠そう藤が丘駅の近くであり、そこで炭酸飲料とタバコを消費しながら、無駄で貴重は時間を無限に愉しんだものだ。

 

 

 

※※※

 

 

 

街が古びて色褪せていく様は、とても切ない事象である。受け入れ難く、只管に寂しい。

 


時を戻せるなら、あの時の藤が丘駅に行ってみたいと、眠る前に考えたりもする。

 


そして、そんなことを考えた夜は、決まって無性にタバコが欲しくなる。赤いマールボロと、親指が痛くなる程に擦り回す100円ライター。それらが恋しくなるものだ。

 


あれが青春だったのだろうかと、藤が丘駅へ行く度に考えてしまう。

 


あれから30余年、未だ僕は何者にも成れていない。もしかしたら、このまま終わるのかもしれないが、積み上げた小さな記憶の数々は出来るだけ覚えておきたい。

 


たまに思い出すのも悪くないものだ。

 


へば。

2025年5月13日(火)「不毛に次ぐ不毛」

いつもの場所で、陽が暮れる様を感じながら、一本98円のクソ不味い発泡酒を呑みつつ、パット・メセニー・グループをBGMにボーっとしている。

 


久しぶりの更新だが、大ネタはない。

栄養失調で倒れ、食事の摂生を誓った直後、冷蔵庫が壊れるという憂き目に遭い、途方に暮れるばかりだ。

 


もはや中古でも入れ替える余裕はなく、親から提供された食料もすべて腐ってしまい、もはや発泡酒を呑み続けるしかない現状である。

 

 

 

※※※

 

 

 

東名高速のライトを唯一の灯りとし、薄暗い田舎道のベンチに腰掛け、不味すぎる発泡酒を延々と呑んでいると、何となく人生の終わりを考えてしまう。

 


愛犬が亡くなり、家族も去った。

生きる指針もなく、ただ流れに任せて漂う自分に、確変突入の契機など訪れる筈もない訳で、安月給で奴隷の様に三下部長代理として過ごす以外の道は見えない。

 

 

 

※※※

 

 

 

何となくネットで副業を探していると、徒歩圏内で清掃のバイトを星していたので、ひとまず話を聞きに行くことに。

 


最近某巨匠の某映画を鑑賞したことにより、清掃員の悲哀みたいなものに興味があった。まあ腐っても管理職なので、当然副業は禁止されているのだけど、とにかく冷蔵庫が欲しい一心で始めてみようと考えている。

 


週3回、早朝4時からの仕事だが、もっぱら不眠症に悩まされているので、時間は苦にもならない。

 


直ぐに働かせて欲しいと懇願し、清掃会社を後にしたが、開始は早くとも来月からだそう。時給1150円で1日3時間。三か月もやれば、中古の冷蔵庫が買える。とにかく1日も早く働きたい。

 

 

 

※※

 

 

 

このところ、不眠症に任せ、中学一年の頃に読んでいたアガサ・クリスティを再度読んでいる。一体何が面白かったのか? 当時の自分は何を考えて読んでいたのかを探るためだけの理由だが、エンタメとして良作だとは思った。映画で言えば、スターウォーズみたいなもんか。

 


翻訳の微妙さは気になるものの、サスペンスとしてはかなり良く出来た作品だと再確認するも、全く没入できないまま読了。さて、次はどうしようか。ブックオフのポイントはあと860p。あと7冊は楽しめるか。

 

 

 

 

 

 

先日倒れてから、何だか歩くのが億劫になってしまい、めっきり運動をしなくなってしまった。足がつる頻度が異常なのは、きっとそのせいだろう。

 


健康体なんて縁遠いな。

タバコを止めても不健康。

なんでだ。

 


さて、何の意味もないこのブログ、そろそろ閉める時期なのかなということで、近々中に閉鎖します。

 


数少ない読者の方々に感謝です。

映画ブログは続けるつもりなので、生存確認はそちらで。

 


へば。

2024年11月14日(木)「遠くへ行きたい」

冷蔵庫内の照明灯が不意に切れる瞬間を見た時、その寿命が尽きたことを知った。


今の僕はその冷蔵庫が「果てる寸前」の状況に酷似しているのかもしれないと思っている。

 

いきなり歯が抜けたり、歩くことが困難になったり、慢性的な盲腸炎が断続的に痛み出したりと、突発的な不具合に見舞われる瞬間が増えてきた。

 

住む場所こそあれど、健康状態は浮浪者のそれと何ら変わりないものだったりするのだろう。

 

今これを書いている最中にも、下腹部の違和感が拭えない。


もう身体に支障をきたす年齢だし、何があってもおかしくないのだ。

 

勤め先から口うるさく健診へ行けと凄まれるのをスルーしているのは、何もお金がないからというだけではない。何が発覚するかわからないのが嫌なのだ。やっと上向いてきたこの状況で、全てを手放すのは本当に惜しいし、できれば固持したい。

 

ただしかし、健康体ではないのは明白なのだろう。


珍しく弱気だが、多分そんな感じなのだ。

 


※※※

 


楽しい時間は長く続かないもので、終わってしまうと瞬時に寂しさが重くのしかかる。


でも、一人でいるのは嫌いじゃないし、これから死ぬまでの間、また改めて誰かと一緒に暮らすのは不可能だろうと思っている。

 

愛犬が亡くなった時、もう一人でいたいと強く願ったことが実現してしまったという訳だ。

 

全ての負債を返し終わったら、会社を辞めて一人でゆっくり余生を生きようと思う。


目的や目標など持たず、今のように誰かに迷惑をかけることがないよう、ひたすら一人で過ごすのだ。


本を読み、映画を観て、好きなものや好きなことを謳歌して、後に果てる。

 

最高だな。

 


※※※※※※

 


今朝気がついたら、駅の近くのベンチで目が覚めた。

 

久しぶりの飲酒が効いたのか、歩いて帰る最中、急に目の前がチカチカと暗転し始め、たまらず付近のベンチに腰をかけたところまでは覚えている。

 

家に帰って不味い水道水を飲み、さて、シャワーでも浴びて仕事を始めようかと風呂場へ行くと、鏡面に映る老け込んだ我が顔面が赤みを帯び、多少腫れている。まあいいかと風呂に入ると、今度は湯が出ない。

 

やれやれ。

 

とにかく年越しまでは何としても生き続けなければならない。


這いながらしがみ付き、元の生活に戻らなければならないのである。

 

気を取り直してもう一度不味い水道水を飲み、パソコンの電源を点けてメールを確認。別段急ぎの要件がないことを知ってから、もう一度席を立つ。

 

ランダムで流しているプレイヤーから聞こえるのは、どこかで聞いたような三流パンク。


役者もやっていたような。あまりに歌詞が稚拙すぎて吐き気がする。


ダサい。ダサい。ひたすらダサい。

 

たまらずシガー・ロスに変え、耳馴染みを良くする。

 


 


日々思うのは、今日こそ何か良いことがあればいいなという一点に尽きる。

 

しかし今の僕には欲がない。


食欲も性欲も睡眠欲も、何もかもどこかに置いてきてしまったみたいに全くないのだ。

 

好きだった駄菓子にも興味が湧かず、バカみたいに遊んでいた賭け事にも唆られなくなった。


何より、女性に対する興味や欲望も何もかもだ。

 

今気になるのは、来年からの報酬額がいくらになるのかと、健康状態の詳細、そして諸々の請求ごとについてだ。

 

追われる生活から解放されたい。そう改めて思った途端、スマホが小刻みに震える。


朝っぱらから取り立てですか。

 

こんな生活を続けていれば、身体を壊すのは必然だろうし、精神だって病んでくる。

 

今、ある程度の余裕があったとしたら何がしたい?


ふと自分に問うてみたところ、出た答えはただ一つ。

 

ふらりと羽田空港へ行き、展望ロビーでしばしボーッとした後、思いつくままに適当な飛行機に乗って、どこかへ行く。そして降り立ったその町にある寂れた食堂で適当な食事をとり、お酒を一杯呑んで、また空港に戻って自宅へ帰る。

そんな小さなご褒美。


とにかくリフレッシュしたいのだろう。

 

来週からはまた仕事地獄が始まる。


ゆっくりディスプレイと睨めっこしていられるのもあと数日。

 

どこかへ行きたい。


激しくそう思う。

 

先日、某版元のコラム記事を執筆していたのだが、そのテーマとして据えたのは「富裕層の寿命について」だった。

 

なぜそのテーマを選んだのかわからない。
でも、何だかしっくりきた。

 

金持ちが相対的に長寿であることは数字を見ても明かだ。


好きなものを食らい、好きなことをする。ストレスフリーで生き続けていけるのなら、誰だって簡単に長生きできるわい。

 

それがわかった。

 

この3年間は、僕の寿命を大きく奪っていると思う。

 

嗚呼、一日でもいいからどこかへ行きたい。


地元にいると窮屈だし、いつも追われているような焦燥感が抜けない。 


電話が鳴るとビクッとするし、電気のスイッチを触る時や、水道の蛇口を捻る際の緊張感が、嫌で堪らない。

 

この時間になって思うのだが、今日は仕事を休みたい。

 

行く場所もやれることも何にもないんだけどね。
せめて歩いて羽田空港まで行ってみようかな。

徒歩で7時間。

 

嗚呼、殆嫌になるね。

 

どこかへ行きたい。それに尽きるな。

 


へば。

2024年10月30日(水)「スマイル」

なぜだか知らぬが、突然歯が抜けた。


おそらく虫歯を放置したまま、歯医者へ行っていないからだろう。

 

正に歯抜けの浮浪者に近いものがあると、少し絶望。


まあ、死ぬわけじゃないし。


※※※


既に秋も深まり、夜になると気温もグッと下がる。


河原を散歩しながら、10月の寒さに打ち震えつつ、家路につく。

 

目の次は肩、そして歯。


健康診断にも行かなければ、人間ドッグへも行っていない。


健康状態は恐らくかなり悪そうだが、今は自分の体を気にしている場合ではない。

 

働いて働いて、働き尽くす。

 

上手く行かずとも、働くのみ。


サラリーマンはそういう生き物だ。

 

帰る道すがら、仲良く歩く親子の塊とすれ違う。
あんな失敗さえなければ、自分もこんな感じだったのだろうかと考えながら、子らについて思う。

 

親の役割など一切果たせない自分など、もはや親ではない。


そんな資格はないのだ。

 

そんなことは百も承知だが。

 

まあいい。

 


※※※※※※※※※

 


次にすれ違ったのは、小型犬を散歩させていた同年代の中年男性。


中々歩みを進めないその子を急かしながらも、目は笑っている。

 

家族以上に家族。


その気持ちはよくわかる。

 

愛犬がまだ生きていたら、僕の今はもっとマシだったのかもしれない。

 

まあ仕方ないがね。

 


 


このブログのコメント欄を封鎖したのは、別に共感を求めている訳ではないからで、見せ物になるのは構わんが、意見されるのは癪に障ると思ったからに他ならない。

 

「気取るなバカ」「オッサンキモい」といった罵声コメントをもらってから、殆、嫌になったのだ。

 

別に他人に向けて書いている訳じゃない。 

 

言ってしまえば自傷行為に代わる発散方法として、思ったことを思ったまま綴っているだけだ。

 

誰の共感も要らないし、評価も不要。

 

この場は、子供の落書き帳と何ら変わりない。

だから何も言わないでくれ。


腹が立つなら読まないでくれ。

 

構ってほしいから書いているわけじゃないブログもあることをわかってくれ。

 

なあ、阿呆共よ。

 

 

※※※

 

 

会社の掲示板チャットで、嫌味な上司からまたも攻撃を受ける。


別に大したことではないのだけど、やられる理由はある。

 

そいつは何にもやっていないにも関わらず、上司というだけで私の手柄を横取りした。

 

私は社員全員が見ているチャットで、それを思い切り否定しただけの話だ。

 

「あなたが何をやったのでしょう? 誰から仕事を取り、誰とその仕事をこなしたのか? 部下がやったことを、あたかも自身のハンドリングで『やらせた』みたいな書き方をするのは卑怯だ。そもそもあなたにその仕事はできない。専門知識もなければ、そのスキルもない。そんなあなたがその仕事をどうやってこなせるのか? 役員幹部へのアピールも良いが、それは部下から恨みを買う最低の行為であることは理解してほしい。もしその仕事で得た結果があなたの功績になるなら、今日この時点で私は作業の手を止め、私が持っている全ての案件を断るつもりだ。それでも良いのだろうか? 何より、部下を出汁に使う最低の上司など、誰からも尊敬されることはないと思う。少なくとも私は付いていきたくはない」

 

スッキリしたと同時に、大きな不安に襲われる。
嫌な予感はピタリと的中し、そのメッセージをチャットに上げた後、社長から個別メッセージが届く。

 

『彼のメンツを考えた方が良いです。平社員が部長に言うことではないと思います』

 

この会社には、クソ野郎しか在籍していない。
役職社員もクソなら、社長もクソだ。

 

しかし、私は辞めない。


抗うのみだ。

 

何がメンツだ。


嘘つきに嘘をつくなと言ったことの何が悪いのか?

 

下々の民がそれを指摘するのは罪なのか?
俺たちは穢多・非人か??

 

馬鹿野郎が。 

 

正義はどっちか本当にわからないのなら、企業丸ごと腐って嫌がる。

 

しかし私は辞めてやらない。


辞めたら困るだろう?

 

まあ、自分も困るのだけど。。。

 

正しいことをやっても上から叩かれ、大きな成果を出しても全く評価をしない。


新卒並みの給与は入社してから一度も上がらず、今期の賞与は6500円だった。


というか意味不明な理由で下げられるばかり。

味方は少ないが、ここで下剋上を果たして華麗に辞めてやる。


それが今の小さ過ぎる野望だ。

 

 

※※※※

 

 

久々に怒りが沸々と湧き、気がついたら5時間も歩いていた。


これから明け方までは原稿書きに没頭しよう。 

 

やったとて、何の評価にも繋がらないのは百も承知だが。

 

トニー・ベネットを聴きながら、強い歩みで自宅へ戻る。


ボロいMacを開き、売れない書籍の原稿を影武者として書く。


本屋の店頭で売られるこの本は、別の筆者の名前が冠され、偉そうにはにかんだ著者近影がプリントされるのだ。

 

もちろん、私の名前など絶対に載ることはない。

 

まさかサラリーマンとしてゴーストライターをやるとは思わなかったが、これも会社の指示。


やれと言われたら断れない。それがサラリーマンの宿命だ。

 

もしこの本が爆発的に売れたとしても、私にはその恩恵を受ける資格がない。

 

それははっきりと言われている。

 

評価にならずとも、命令放棄をすれば更なる減俸が待っている。

 

やれやれ、サラリーマンなんてロクな仕事じゃないね。 

 

トニー・ベネットが歌うチャップリンの「Smile」の素晴らしさに震えながら、怒りに任せて駄文を書き殴ろう。今日の目標は夜明けまで2万字。

 

さあ、クソつまらない仕事に戻ろう。

 

 

へば。

 

2024年10月29日(火)「ゴッドファーザーにはなれない」

20年ぶりくらいに「ゴッドファーザー」を視聴。
マフィア映画の礎であり、最高峰。これを超えるものは無いだろう。

 

なんでこんな凄い脚本が書けるのか? マリオ・プーゾは天才である。

 

3まで観た後、何となく昔こんな寂しさを感じたことがあると気づく。

 

それは、中学3年の時。

 

別段やりたかった訳でもなければ、向上心があった訳でもない。さらに目立ちたい訳でもなく、特に理由もないまま生徒会に立候補し、当選した時のことだ。

 

先生達からは厚待遇を受け、下級生からは慕われる。


そこで同級生の数名から、陰湿な「シカト」を喰らったのである。

 

権力という孤独を初めて意識した瞬間だった。 

 

まあ、ヴィトー・コルレオーネやマイケル・コルレオーネに比べたら、非常にちっぽけな孤独だが。

 


※※※

 


それから14年後、僕はまたしても同じような空気に触れたのである。

 

零細企業の代表取締役に就任し、四十数名の元ヤンキー達を束ねることになってから、同じような孤独感を覚えたのである。

 

いくら三流大学卒であろうと、中卒・高卒ばかりの彼らからすれば、単なる「お坊ちゃん」に見えたことだろう。しかも元マスコミという肩書きがエッセンスとなり、たちまち鼻につく存在になってしまったのである。

 

メシを食うのも一人。飲み会でも周囲には誰もいない。社員旅行へ行っても一人部屋。

 

彼らと打ち解けるまでには、丸2年という長い年月を要した。

 

その間、僕は只管孤独だった。


何でこんな仕事をしているのか? マスコミに戻りたい。好きなように働きたい。他人の顔色を伺いながら、コソコソと隠れるように働くのはまっぴら。

 

そんな不満ばかりが募り、気がついたら急性アルコール中毒になるまで酒を呑んでいた。

 

日中は忙しいが、夜は自由。


ありったけの時間と金を使い、来る日も酒を呑み、葉巻を燻らせる。


30歳そこそこの若者の習慣ではない。

 

高級クラブのママの娘から執拗に付き纏われるも、彼女が好きなのはお金のみ。

 

毎晩のように彼女としこたまブランデーを呑み、愚痴を零し、無駄な夜をいくつも明かした。

つまり、寂しかったのだ。

 


※※※※※※※※※

 


しがないサラリーマンと成り下がったここ10年、そんな孤独とは無縁の生活に戻った筈が、今度は一人寡の寂しさに打ちひしがれるようになってしまった。

 

マイケル・コルレオーネには、従順なファミリーがいる。

 

それだけで十分じゃないか。

 

僕よりも随分幸せだろうに。

 

まあ、そんなフィクションと自分の陳腐な半生を比べてもね。


笑うしかないか。

 

とにかくゴッドファーザーは良い映画だと再認識した。

 

何せこの映画には、悲壮感しかない。


甘いパッピーエンドもなければ、あり得ないラブストーリーもない。

 

それだけで良い映画の条件をいくつか満たしている。

 


 


鬼のノルマをこなしながら、こりゃもう間に合わんという諦めの中、必死にキーボードを叩き続ける自分は、負け犬以外の何者でもない。

 

明日こそは何か良い兆候が。

 

そう思いながら、廃業から約4000日もの間、無駄な夜をいくつも明かしてきた。

 

しかし、状況は悪くなるばかりで、テンションはみるみる落ちていく。

 

一世一代の賭けとして、自分が描いたサラリーマン・サクセスを実行してみたが、今の所大した変化もなければ、良い兆候も見えない。

 

とにかく根気よく続けることが大事なのだろう。

泥臭い根性は大嫌いだが、ここは必死に喰らいつくしかあるまい。

 

明日こそは。 

 

いや、明後日こそは。

 

こんなことの繰り返しだ。


別にマフィアのボスになるほど大仰な目標ではないんだけどな。

 

瞬時に叶うレベルのちっぽけなものだ。

 

 

へば。

2024年10月28日(月)「口笛と髭とバルコニー」

妻と事務的なやり取りを交わす。

 

かつては気持ちがあって一緒になった訳だが、今や完全に他人である。

 

適度な距離を保ち、敬語で話す。


違和感しかなかったが、段々と慣れてきた。

何とも悲しいことだろか。

 

妻には弁護士がついていて、僕は丸腰。


婚姻関係は結んだままでも養育費を請求される意味不明な関係に、殆嫌気がさす。


もはや恫喝と言えるその状況下でも、妻は男と責め続ける。

 

俺はコイツのどこに惚れたのだろうか。


まあそれは昔のことだ。今や一抹の愛情すら湧かない。

 

何不自由なく暮らせないと、家族は側から去っていく。

 

教訓になるだろうか。


※※※


長らく音信不通だった友人とコンタクトを取ることができた昨日。


何だか無性にホッとした。

 

考えてみれば、僕は彼と連絡を取り合う以外、LINEを使っていないことに気づいた。

 

寂しい訳ではないが、何だか自分が末期に向かっている気がして、少々怖くなってしまった。

 

でも、とても貴重で大事な存在だからこそ、心配をしたのだろう。

 

友達とは、尊い存在である。

 

こうなってみると、それが身に染みてわかるのだ。


※※※※※※※※※


先日「異動」を命じられたばかりだというのに、今日になって再び「戻れ」という命令が下った。

 

訳がわからないのでそれを拒否すると、今度は恐喝じみた断末魔の衝撃波を放ってくる始末。

 

そりゃもう従うしかない。だって僕はサラリーマンなのだから。

 

社長を味方に付けた生意気な中年。

 

大方そんな恨みを買っているのだろうけど、僕は別に社長を味方に付けた訳ではないし、協力者として身近な存在になったことは確かだか、何の恩恵もない。

 

貴重な存在。頼りになる大人。

 

そんな風に言われることを嬉しいとは思わない。

 

寧ろ、煩わしいとしか思えないのが本音だ。

 

自分にしかできない仕事をこなし、ある程度の結果を出したことによって、得たのは社内の嫌味とやっかみだけ。昇給もしないし地位だって上がらない。

 

それがサラリーマンの悲しい実情だ。



昨日の夜、三木聡監督の「転々」を三度繰り返し鑑賞した。

 

嫌なことがあると、決まってこの映画を観るのはなぜだろうか?

 

ムーンライダースの「口笛と髭とバルコニー」が聴きたいだけなのか?


それとも主演二人の完璧な演技が観たいのか?

 

はたまた、悲しい現実を描いた物語に浸りたいだけなのか? 

 

答えは全部だろう。

 

そう言えば、有給を消化しきれていないことを、総務からやいのやいの言われている。

 

休んだところで行くところもなければ、やることもない。

 

さて、深夜バイトの面接へ行こう。

 

誰しも、こうなってはいけない。


少なくとも、これを読んでいる方々は、絶対にこうなってはいけないのだ。

 

明日は良いことがあるといいね。

 


へば。