天命、そして伝説へ。

アラフィフのサラリーマンライター『椎間板』が、終末までに高所得者へ上り詰めるまでのプロセスについて書き綴っていくという、完全自己満ブログです。

2024年2月26日(月)「不安人間」

色々な意味で「終わっている」と感じる我が身だが、この一年限定で努力というものをしてみようと思い立ち、早2ヶ月が過ぎた。

 

結局、さほど努力をしている訳ではないのだけど、以前よりも前向きに仕事へ臨んでいる気がする。

 

まああくまで気がするだけだけど。

 

自分がどうなりたいのか? を考えるのは30代まで。

40代に突入したら、もうどうにもなれないので、理想を掲げるのはやめた方が良い。

 

かくいう私も、将来について熱っぽく語らなくなったのは、会社を畳んだ10年程前、つまり30代半ばの頃だった。

 

 

★★★

 

 

収入が激減した後、最も近い身内から「体たらく」だと揶揄された時、もう何もかもに嫌気がさした。

相手は軽く叱咤する意味で言ったのだろうが、その一言で堪えていた支えが壊れ、力技で身内を遠ざけてしまった。

 

後悔はないし、申し訳ない気持ちもない。

 

それとは全く逆の感情の方が濃いと言っても過言ではないだろう。

 

とは言え、自分に商才がなことはわかっていた。

過去の小さな成功は、単に刹那的な偶然に乗っただけであり、瞬間最大風速みたいなものだ。

それに、周囲のスタッフの能力が高かったあたりも大きな要因と言える。

世の社長、特に実業家と言われている方の多くは、周囲の力に助けられている部分が大きいと思う。

 

つまり何が言いたいか?

ズバリ、金とコネさえあれば、ある程度の成功なんて簡単に手に入るってことだ。

 

 

★★

 

 

久々に長めのフィクションが書きたくなったので、今はどんなテーマのものが多いのかを調べてみた。

先日の直木賞(芥川かもしれん)の受賞作品の一部をAIが書いていたなんてニュースを見たが、今やそこが注目されてしまうんだなと。

 

でもまあゴーストライターと似て非なるものと考えれば、あながちAIの力を借りることは悪くないと思ってしまう。とは言え、自分なら受賞を辞退すると思うな。そこまで強心臓ではない。正直、図々しい作家だなとは思った。

 

書き手としての自分に能力がないことは、これまでの実績を見ればわかること。

この歳にして大きな受賞歴もなければ、連載を持たせてくれるコネも実力もない訳で、その道一本で食っていくのは既に不可能だと断言する。今のように、事実だけを正確に書き綴るライターが関の山なのだろう。

 

しかし、下手の横好きは治らないもので、やはり書きたいのである。

事実は小説より奇なりと言われるそれを小説で書いてやろうではないかと。

 

嘘みたいなノンフィクションの数々を体験してきた自分にとって、それらを文字に書き起こすのはもはや使命なのでは? と思えてならない。だからこそ、時間をかけても長いものを書くべきだと思っている。

 

 

 

 

右腕を支配する原因不明の痛みの正体は何なのか?

多分「アイーン」とかを披露しようものなら、悶絶レベルの激痛に襲われるだろう。

まあやらないが。

 

お笑い芸人ではないし、スポーツもやらない。

それなのに患部は普通に生活をしていれば絶対に傷めないような箇所だったりする。

老化? それとも単なる摩耗・消耗か?? 何かにぶつけた記憶もないし、捻った訳でもない。

 

まあ謎。

 

半月経っても痛みの程が変わらないというのが逆に怖くてね。

今より痛みが酷くなる訳でもなければ、軽くなる訳でもない。

そういうのが一番怖かったりする気持ち、わかるかな。

 

痛み止めの薬、湿布、それらは全く効果なし。

一体なんなんだろう。

 

ポケットに手を突っ込む動きだけでも激痛が走るって、結構マズいのかな。

 

まあいいか。

 

 

⭐︎⭐︎⭐︎

 

 

不安のない暮らしって最も幸せな状態なのではないだろうか? と思えてならない。

 

何か一つでも不安が解消すると、一時は物凄く楽な気持ちになるものの、数時間も経つと次は他の問題がやたらと気になってしまったりする。つまり、今の自分は不安のタネで構成されている「不安人間」で、ブドウの実の如く不安を抱えているのだ。削いでも削いでも次々と別の不安が顔を出すというね。

 

嫌になる。

よく死なないもんだなと、たまに自分に驚くこともある程だ。

 

だから、今の目標は不安のない暮らしを送ることに尽きる。

 

負い目なく、後ろ指をさされることもなく自由に何かをやってみたい。

思うままに生きる爽快感を感じてみたい。

 

それってさほど特別なことではないのかもしれないけど、自分にとっては億万長者よりも羨ましい存在だったりもするんだな。

 

 

⭐︎⭐︎

 

 

陽が落ち始めた時の赤みを目撃すると、嬉しくなるよりも悲しくなってしまう。

守られていた子供時代がどれだけ尊いのかと思えてならない。

 

大人になる自信など持てないまま、気づいていたら大人になってしまった私のようなファンタジー野郎にとって、ノスタルジーは単なる逃げ場になってしまっているのだろう。郷愁の念が物凄く邪魔に感じること、ありませんか?

 

さて、明日はどのくらいつまらない一日になるのか?

 

へば。