このところ、常にピアノを聴いている。
ジャンルにこだわりはなく、ジャズだったり、イージーリスニングだったり、アンビエントだったりと様々だ。
フジコ・ヘミング、坂本龍一、ジジ・マシン、クリスチャン・ツィメルマン、リチャード・クレイダーマン、ラムゼイ・ルイス、セロニアス・モンクetc・・・。
音だけに飽きると、今度は映像もさらう。
昨今、動画配信アプリでは、工場夜景や夜の電車、野花、山、空、海中など、美しい映像と共にアンビエントなピアノを融合させた動画が沢山出ている。それを観るでもなく、視界に入る適度な範囲内で流し続けながら仕事に勤しむのが常だ。
一番好きなのは、生活音の入ったピアノ・アンビエントである。
代表的なのはブライアン・イーノや坂本龍一で、絵が無くとも風景をイメージできる音に浸っている時間が今は何より落ち着くのだ。
気取りなどなく、純粋に癒しを求めての行為なのだろうけど、たまにふと我に返った瞬間、何となく自分がどうにかなってしまっているのではないか? と怖くなる時がある。まあ、どうにかなっているのは事実なのだけど。
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今からもう30年近く前になるだろうか、川崎のチッタ通りにあったタワーレコードの店内で、来日中のデスメタル・バンド、「デス」(まんまですな・・・)のフロントマン、チャック・シュルディナー氏に遭遇したことがあって。片言の英語で『チャックさんですよね? CDを聴いたことがあります。握手をしていただけませんか?』と声をかけると、チャック氏はこう返したんです。
『よく俺を知っていたな? ありがとう! でも、君のような爽やかな青年に合う音楽ではないと思うよw ピアノ・ソナタみたいな美しい音楽ではないからさ』
洒落の効いた素敵な返答だと思ったが、英語を解釈するのに結構時間がかかったことを覚えている。
そこで思ったのは、ロックやメタル、さらにはパンクやハードコア、そしてサイコビリーなどは美しい音楽としてカテゴライズされないのは何故なのか? という点についてだ。
荒々しいディストーション・サウンドと歪んだベース、そしてマシンガンみたいな16ビートで疾走するロック・ミュージックだって、美しいメロディを纏った名曲が一杯あることを知っている。
thee michelle gun elephantの『NIGHT IS OVER』みたいな曲はそこに入らないのだけど、同バンドで言えば、「ダニー・ゴー」だって美しいロックだし、「ドロップ」などは日本一美しいロックアンセムだと思う。
メタリカの「one」なんて美しい以外に形容できる言葉が見つからないし、ガンズ・アンド・ローゼスの「ノーヴェンバー・レイン」なんて世界一美しいロッカ・バラードじゃないかと思う。美しさの定義は本当に難しいものだ。
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ロックの話に紐づいて、最近知ったこんな話題をひとつ。
21世紀ロックの先駆者と言われ、もはや伝説的なバンドとして広く知られているLINKIN PARKが再始動するようだ。リード・シンガーの死によって活動を止めた同バンドが、何と新しいシンガーを率いてワールド・ツアーに出ているという。
LINKIN PARKの魅力って、チェスター・ベニントンの声だと思っていたのだが、それを失ってもまだやろうという心情がよくわからなかった。
まあヴァン・ヘイレンだって3人ボーカルが変わっているし、QUEENだってたまにボーカルを変えてツアーに出たりしているから、あまり気にならないのかもしれないが、リスナー側、何よりファンからすれば冒涜とも言える行為だと憤慨してもおかしくないような気もするがどうだろう。。。
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がんばれロックや歌謡曲に心がときめかないのは昔からなのだが、前記したガンズの「ノーヴェンバー・レイン」だけは昔から無性に好きで。彼らはいわゆる売れ線ハードロックバンドで、一時はニルヴァーナとロック界の覇権争いをしていたくらいの人気者とあって、あまり自分の範疇ではないのだけど、彼らの楽曲は今でもよく聴くし、何ならニルヴァーナよりも潔くて好きかもしれないなと。
メイン・ギタリストのスラッシュの手癖が好きでよく真似て弾いていたのも一因かと思うのだが、どこか惹かれるバンドだったなと。
中でも「ノーヴェンバー・レイン」のアウトロのギターソロは名演だと思ってます。
ゲイリー・ムーアよりも泣きのギターではないかと思うのだがどうだろう。
ピアノの話で始まっておきながら、ハードロックのネタで締めるという曖昧さ。
これが今の不安定な心を表しているかのようです。
まあジャンルなんて関係ないさ。
良いものは良い。
へば。