天命、そして伝説へ。

アラフィフのサラリーマンライター『椎間板』が、終末までに高所得者へ上り詰めるまでのプロセスについて書き綴っていくという、完全自己満ブログです。

街を行く。

今日も仕事らしい仕事はなく、ただ只管研修動画を視聴するのみだった。

 


しかしながら画面を凝視しながらデスクに張り付いている必要はないので、それを聞きながら地元を散策していた。

 


住み慣れた街故に、変化に気付く事などなかったが、25年前の面影など全くなくなってしまったことに気付いた。

 


ハタチの頃の懐かしい彼是を回想しながら歩いていると、不意に涙が溢れた。これも病気のせいなのかしらと妙に納得し、ひたすら歩く。

 


ポケットの中のスマホが震える度にドキッとするが、どうせ取り立てだろうとディスプレイを見ると、やはりそうだった。

 


これ以上気分を落とすのは何かと危ないので、思い切って電源を落としたものの、聴いていたルイ・アームストロングの素晴らしい歌声まで消えてしまった事がやけに腹立たしかった。

 

 

 

 

 

 

将来の事を意識し始めたのは17歳、高校三年生の時だった。

 


誇らしく楽器を掻き鳴らし、目を閉じて歌う自分の様を思い描きながら、毎日何かに期待し、未来に思いを馳せた。

 


仲間と集って音楽を創作した。

自分にはやや不釣り合いな程に美しい恋人をこさえ、毎日を謳歌した。

大学の講義をサボってバイトに勤しみ、憧れの機材を買い揃え、ライブに出た。

 

 

 

美しく儚く、尊い二十代を過ごしたこの街も、気付いたらすっかり整形してしまい、元の表情を失ってしまった。

 


時間が経つのは残酷で、取り残されて大人になりきれなかった奴は、いつまでも回顧し、昔を取り戻そうと躍起になる。

 


つまり、今の僕がそんな感じかな。

 


あの娘は結婚に失敗し、毎日愚痴と僻みを連発する薄汚れた中年になってしまった。つまりそれが連れ合いなのだけどね。

 

 

 

街も他人も変わるのに、僕は相変わらず青臭さが抜けないまま年を取ってしまった。

 


思えば19歳の時に起きたあの事件から、僕の人生は沈みっぱなしである。

 


明日は朝から仕事前に臨床心理士とのカウンセリングがある。

 


疲弊した心が、赤の他人の言葉で救われるとは思わないが、治療の一環だと割り切って伺う事にする。

 


かなりベタだが、今日のBGMはルイ・アームストロングの『この素晴らしき世界』だった。

 


何にも素晴らしくないけどね。

 

 

 

絶望するばかりだよ。

 


じゃあ。

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