正直言って、結婚には失敗した様な気がしてならない。
結婚とは、夫婦が互いに助け合っていくものなんて言われているが、うちは全くそういう関係性を築けておらず、夫婦でありながら個々で生きている感じだ。
支えていないのだから、こちらも支えない。
なんて言われるしね。
それに、結婚して既に15年。付き合い始めてからはもう26年にもなる訳で、そこまで長い時間顔を合わせていると、愛情云々で関係性がより強固になることなどない。
あちら側にしたって、とっくの昔に冷めていると言っていたしね。
身体に触れることもなければ、目を見て話すこともない。元の他人に戻っただけという感じだね。
それで不満は無いのか?
と問われたら、そりゃ不満はあると答えるだろう。何せ子供は妻に懐いており、唯一の相棒だった愛犬も、昨年末に逝ってしまったものだから、日々虚しさしか覚えない。
生きている意味を問われたら、借金の返済のみと答えるしかないかな。
現在、稼げてはいないが、職業文筆家として生きているが、願わくば職業作家とランクアップしたいものだ。
まあ無理だろうけど。
※
以前セミナー講師として何回か登壇させてもらったことがあるのだけど、回の終わりにいつも短い質疑応答の時間を設けており、そこでは駆け出しの若い編集者やライターから色々な質問を受けていました。
まあセミナーのテーマがB to Cにおける紙媒体編集・制作のコツみたいなものだったから、受ける質問も当然それにまつわることが主でした。
しかしある時、菜々緒さんをちょっとディフォルメした様な若い女性編集者の方から、こんな質問を頂いた。
『不規則な生活を強いられる編集者生活で、家庭や奥様を大切にし続けるコツってありますか?』
what?
しばらく呆気に取られ、理由を彼是考えてみたが、答えが出なかったので、簡素に
ありません。
と答えたものだ。
正直、家庭を犠牲にしないと出来ない仕事なのかなと思うし。
もしかしたら、我が人生に於ける最大の失敗は、編集者になったことなのではなかろうか?と、その時思った。
僕ら夫婦が恋人同士だった時代は、他の誰もがそうであるように、愛情という名の飛び道具をぶつけ合い、確かめ合い、その果てに籍を入れた。
しかし、仕事に没頭する余り、薄給であることや多忙であることを有耶無耶にし、とにかく盲目になって毎日勤しんでしまった。
結果として彼女は私に愛想を尽かし、たまに金持ちのおっさんとデートしながら、子供を育てることだけを考えて生きる様になってしまったのである。
よく年を召した方が言う、壮年期に入っても恋がしたいという気持ちがよくわかるようになったね。
想い想われ、まるで、出来た虫歯を瞬時に削り取って生きていく様な時間は、何ものにも代え難い程に充実感に溢れていたし、幸福だったと思う。
生きる意味すら覚えたあの時間こそ、全てではないものの、醍醐味と言ってもいいんじゃないかな。
機会があれば、もう一度恋をしてみたいと思うものだ。
まあ、相手は妻以外が理想かな。
お後が宜しいようで。
追伸
今日のBGMはスタン・ゲッツカルテットの『THE STEAMER』です。
どなた様も、どうか良い一日を。