天命、そして伝説へ。

アラフィフのサラリーマンライター『椎間板』が、終末までに高所得者へ上り詰めるまでのプロセスについて書き綴っていくという、完全自己満ブログです。

死の54階段。

昨晩の事だ。

仕事を終え、満員電車に揺られながら自宅付近の駅で降りた。それはまあいつもの事なのだけど、電車から降りて長い階段を降りようとした刹那、階下に見慣れない風景が広がっていた。
 
駅員を含めた十数名が、階段の下で何かを囲う様に集まっている。

一瞬にして何があったのかを悟り、出来るだけその光景を見ない様に務めていた。
 
この事なかれ主義め! と背中を指されそうだが、年齢を重ねる度に火中の栗を見過ごす体質に変わってきており、何かと面倒な事から距離を置こうと努める様になった。まあそれはどうでもいい。

話を続けよう。

階段を下っていくと、徐々にその様子がリアルに映り、痺れを切らして見つめた先には、群衆の中心に50代半ばと思わしき男性が倒れていたのである。

酔っていたのかどうかは不明だが、階段から落ちたのは明白だった。

男性はピクリとも動かなかったが、顔色を見て亡くなってはいない事が分かった。とは言え、地面に頭を打った格好で倒れていたにも関わらず、出血していないあたりが非常に気になった。
 
その時、群衆の一人が「ちょっと別の場所に寝かしましょうか?」と提案し、その声に動かされる様に他の数名がアクションを起こした。
 
思わず声を上げそうになったが、一人の女性が瞬時にそれを止めた。
 
「動かさないで!!」
 
そう、脳出血している可能性がある以上、無暗に動かしてはいけないのだ。
 
きっと彼女は医療関係者なのだろう。

心拍やら脈やらを確認し始め、駅員に何やら指示を出していた。
 

こんな時、矢面に立って行動できるその女性に感服すると同時に、自分が下手に声を上げなくてよかったと思った。
 

人の命に関わる事に、素人が首を突っ込んではいけない。

とにかく男性が無事である事を祈るばかりだ。
 
それを受けて、ひとつ思う事がある。
 
用心に用心を重ねる事は、決して過剰防衛ではない。
何故なら誰しも、いつ何があって、命がどうなるかなど分かる事ではないからだ。

偽善的に聞こえるかもしれないが、いつ果てるかもわからない命ならば、せめて後悔の無い様に毎日生きていかなければと、強く思うのだ。

人に優しく自分に厳しく、そして何より人を大切にしていかなければならないなと。

何より自分をもっと大事にしてあげないといけないなとも思った。

毎日欠かさず飯を喰らい、欲望に素直に行動する。
 

クソみたいな毎日を生き続けるご褒美として、それくらいは許してあげるべきなのだろう。
 

明日も変わらず命がある事を祈るばかりだ。
 

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