天命、そして伝説へ。

アラフィフのサラリーマンライター『椎間板』が、終末までに高所得者へ上り詰めるまでのプロセスについて書き綴っていくという、完全自己満ブログです。

死生観。

勤め先の従業員が、数日前に亡くなったと聞いた。

 

しかし、僕はその人のことを知らない。

何せ従業員の8割はテレワーク勤務をしているものだから、自分の上司にあたる方すら直接顔を合わせて話したのは、この半年で一度だけしかない。

 

死因は自殺らしい。

28歳の未来ある男性の身に、一体何があったのかなど知る由もないが、ただただ残念でならない。

 

死ぬほど辛い思いをしていても、自害するのは難しいものだ。

相応しい言葉ではないかもしれないが、よく実行できたものだと思ってしまった。



※※※



昔から、男に甘える女が大嫌いだった。

田中みなみの様な女性はやや行き過ぎているが、仕草や態度には出さずとも、精神的に男を頼っている女全般が苦手である。

 

だから僕は、結婚に対して前向きではなかった。

 

言ってしまえば、女性全般が苦手なのかもしれない。

よく勘違いされるのだけど、僕は女好きではないし、下心も割とない方だったし、今でもそれは変わらない。

 

すべての女性を敵に回す覚悟で言うが、出会ってきた女性の100%に対して、汚らしいと思ってきた。

 

尊敬も何もありはしない。

 

スクリーンや液晶画面に映る美しい女性など、全て幻想であって、それならば憧れたところで単なるファンタジーだ。それならそれだけでいいじゃないか。

 

手が届く身近な女など、憧れも糞もない。

軽薄で下品で嘘つき。

 

まあ、女性運が無かったのだろうね。



※※※※



冒頭で話した亡くなってしまった従業員のことについて考えている。

 

顔や名前を知らずとも、同僚である。

強ち、縁も縁もない訳ではない。

 

彼には良い友人がいなかったのかもしれない。

もし恋人がいたとしても、生死に関わる程の悩みに於いて、異性の存在は逆に邪魔な気がするし。

 

無論、悩みの種が異性だったりすることもある訳だが。

 

抽象的で冷たい言い方かもしれないが、人が亡くなるというのは、誰であれインパクトがあるものだ。

 

身近な人なら尚更そうだろう。



24歳の時、友人を事故で亡くしたのだけど、それはもう相当荒れたものだった。



「じゃあまた明日な」



と言って別れたのが、亡くなった前日のこと。

 

行きつけだった渋谷の安いパブで飲み交わし、いつものごとく将来の展望と音楽談義に花を咲かせ、翌週に迫ったオーディションライブへの意気込みを語った直後のことだ。

 

彼はバンドマンで、腕利きのベーシスト。

そして何より、僕のバンド・メイトだった。

 

今でも著名な某バンドが、売れる前のメンバーとして執拗に誘ったのだけど、彼は僕と一緒に音楽を演ることを選んでくれた。

 

同じ年で趣味趣向の合う、当時最も僕の側にいた相棒だった。

 

身長は僕よりも高い上に(因みに僕は180センチで、彼は185センチもあった)、いつもロンドンブーツを履いていた。ファッションはベイシティー・ローラーズなのだけど、髪型はジョー・ペリーで、ベースの手癖はトレバー・ボルダー(デヴィット・ボウイ率いる名バンド、スパイダース・フロム・マーズのベースマン)で、とにかく格好良いヤツだった。

 

ウソ抜きで、二人でセンター街を歩けば、何人もの女性から声を掛けられたものだし、僕らセットでスカウトマンからアプローチされたことも一度や二度じゃなかった。

 

当時の彼女は、渋谷を闊歩する僕らの後ろ姿を見て、将来を確信したと言っていたっけな。

お世辞でも嬉しかったものだ。




※※※※※



彼はあの夜、環状七号線で巨大で重工なトラックから幅寄せされ、ガードレールに挟まれて死んだ。



その事実を知ったのは、彼が亡くなってから4日後のこと。

 

ライブ前のリハに顔を出さないことを不審に思い、日に100回以上彼のPHS(携帯電話じゃない。しかも彼のピッチは「ドラエフォンというドラえもん型のレアな機種だった)にコールしたが、数日繋がらなかった、

 

そして死後4日目に、彼の父親からリダイレクトで着信があったのだ。



九州は小倉で執り行われた葬儀。

参加したのは、バンドのメンバー(ギタリストとドラマーとボーカルの僕)と、彼の父・祖母の四人だ。



彼は片親で、母親は彼が10歳の頃に家を出ている。



その時のことは全く覚えておらず、消費者金融で借りた10万円を三人で割って(僕以外のメンバーは高校生で金が無かった)葬儀へ出向き、無言のまま帰宅したことくらいしか覚えていない。



帰り際、彼の父親から、彼が愛用していたベース(「moon」というメーカーの素晴らしい一本)を譲り受けたのが最後の記憶だ。



恐らくそのベースは、当時物でもかなり高価なものだ。



金に困った昨今、それを売ってしまおうかどうか一瞬悩んだが、やはりそれは手放せなかった。



そのベースを手放そうとした自分に腹が立ち、挙げ句号泣した。

彼を、当時を、マインドを思い出し、声が枯れるまで泣いた。



だから、人は自ら命を断ってはいけないと思っている。



面白おかしく、何かを茶化した様なピエロ風なキャラを気取って生きてきた僕だけど、あの時のことを思い出すと、未だ胸が異様に騒ぐ。

 

「なぁハリー、武道館に立ったら死んでもいいよな」



「バカお前、死んだらもうビール呑めないじゃん」





一生忘れてはいけない思い出。

他人であり同僚の彼の訃報を聞き、真っ先に思い出したのがそんな思い出だった。



僕が一番輝いていた時間。

夢を見ることの楽しさ、嬉しさ、儚さ、残酷さを知ったあの頃の貴重な思い出、



来月はお前の命日だ。

俺はこんなにボロボロでも生きてるけど、やっぱり情けないよな。




誰も自害する権利など持っていない。

故人にもう一度会いたいと切に願うのは、両親だけではない。



だから自分は何があろうと自害はしないつもりだ。

数少ない友人や、愛する子供達の悲しむ顔は見たくないし。

 

まあ、今や離れて暮らす妻だけは、僕が死ぬことを心から願っているのは事実らしいけどね。



もう愛などないからいいけどね。



亡くなった同僚に、哀悼の胃を込めて。

28年間、お疲れ様でした。

 

よく頑張ったね。




どなた様も、大事な人を思い返して、良い夜を。



僕はまだまだ酒を呑みます。



へば。