天命、そして伝説へ。

アラフィフのサラリーマンライター『椎間板』が、終末までに高所得者へ上り詰めるまでのプロセスについて書き綴っていくという、完全自己満ブログです。

花に嵐の例えもあるさ。

『花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ』
 
ご存知の方も多いと思われますが、これは唐の詩人、宇 武陵の「勧酒」を井伏鱒二氏が和訳したもの。

とにかく私はこの一文が大好きで、事あるごとに思い返しては気持ちに弾みをつけている。

この一節の意味は、「咲いた花が散っていくように、出会いにも必ず別れが付きまとう。だから今を大切にしよう」。
 
因み全訳はこうなる、
 
 

「この杯を受けてくれ、どうぞなみなみ注がしておくれ、花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」

 
 
人生も40年間体験すると、感じ方や考え方にこれまで無かった様な変化が見られる。
 
例えば愛聴する音楽もその一つで、かつては中毒と言える程ロック漬けの日々を過ごしたものだが、今ではすっかりジャズ・スノッブである。
 
勿論今でもロックは大好きだし、日に何度となく聴く日もあるが、主食というよりオヤツ的な感覚という位置付けかと。
 
読む本も文芸ではなく、もっぱら新書か随筆文、さらには胡散臭くないビジネス書(啓発本は大概嘘だから絶対に読まない)ばかりだ。
 
つまり、宇さんの「勧酒」の対象者は、他人だけでなく自己も入るのだろう。
別れるのは他人だけではない。
 
 
過去の自分と別れる事もまた然りなのだ。
 

無謀な青年からサラリーマン金太郎風編集者になり、30代に入ると島耕作代表取締役に。
 
30代後半で会社を畳み、少し遅めのカイジ風中年と成り下がり、サラリーマン兼博徒として坊やを気取るも、40代に差し掛かったところで限界を感じ、ドノーマルに落ち着いた。

昔の俺なら・・・。

そんな言葉が大嫌いだったが、そんな言葉を吐いてしまう居酒屋に巣食う冴えない中年野郎の気持ちが少しだけ分かってしまう自分が居る。
 
 
『花に嵐の例えもあるさ、さよならだけが人生だ』
 

さあ、これからどう変わっていこうか。

大好きなパット・メセニーの「Last Train Home」を聴きながら、今日とお別れしよう。

なんつって。
 

f:id:hcdmc_cindy:20191125190754j:plain

儚さ故。