女子中学生(14)が大学生(22)を転落死させた疑いで逮捕されたというニュースを見て、衝撃を受けた。
まだ確定ではないが、どうやら美人局の手口ではないか? と言われていることにも驚いたが、何より22歳の若さで中学生のクソガキに翻弄されて亡くなってしまった大学生が不憫でならない。
そんなことをして得た金で、その子達は何につかうのだろう。
遊ぶ金?買い物?
言葉では言い表せないくらい、彼女らに汚い言葉を浴びせてやりたい。
ニュースに寄せられたいくつかのコメントの中に、女子中学生への罵声以外に大学生を蔑むものも散見した。
男の性欲は生理現象であり、場面によってはそれを強引に抑制することもある。
それに、若い女性に欲情してしまう性癖を持っている方も少なくない。
その気持ちを利用し、最終的には死に至らしめた女子中学生達を許すことができない。
言い方はおかしいかもしれないが、自死ならまだわかる。
でもこの事件は明らかに殺人だ。
勝手に逃げて落ちただけと言い訳するかもしれない。
それは違う。
もしその大学生が事に及んでいたら、青少年保護育成条例違反であることには違いないし、それを償う義務もあると思う。でも、殺してはいけない。追い込んではいけないのだ。
×××××××
落ちる瞬間、彼はどう思ったのだろうか。
何を嘆いたのだろうか。どれほど深く後悔したのだろうか。
そう思うとやりきれない。
落ちた場所は血溜まりになっていたそうで、女子中学生はその様子を確認してから逃げたそうだ。
それを見て、クソガキどもはどう思ったのか。
未成年だから死刑はないだろうが、大人なら間違いなく死刑になるレベルだろう。
そいつらが大人になって結婚し、家族を設け、何事もなかったかのように幸せな未来を生きていくことに、激しく憤りを感じてしまう。
許されるなら、同じ死に方で終わってくれと願うばかりだ。
落ちる瞬間、きっとそいつらはこう言うのだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
って。
アホか。
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死んだ方がマシと思うのは毎日のことだ。
何不自由なく生きているありがたさなど、持っているうちは感じないことだと思う。
しかし、いざ不自由になってみると、自分がどれだけ幸せだったのかを思い知ることになる。
住む家があって、そこに愛する家族が居て、ライフラインも当たり前のように生きていて、食べたいものを食べ、行きたいところに行くことができる。
例えそれらの価値が低いものだったとしても、得ている時点で幸せなのだと思える価値観を持っていたいものだと切に願う。
だからこそ、満足に食事をとることもできず、ライフラインだっていつ停まるかわからない不安定な状況下に置かれている今だってさほど不幸だとは思わない。
確かに不満は多い。
好きなものを好きなだけ食べたいし、浴びるほどビールも飲みたい。
タバコだって好きなだけ吸いたいし、好きな時に行きたいところへ行きたい。
でも、それは叶わない。
とは言え、がむしゃらにそれを叶えたいとは思っていない。
なぜなら、本気でそれらを手に入れようとすれば、例の女子中学生のように人を騙して金品を奪取するしか方法がないからに他ならない。
今は大人しくし、甘んじて現状を受け入れるしかない。
無理矢理は良くないのだ。
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22歳の時、仲の良い友人が亡くなった。
原因は交通事故だった。
彼が運転していた配達用のバイクが、無謀な運転をするトラックに幅寄せされ、ガードレールに激突してしまったのである。
同じ目標を持った同志のような存在だったので、あまりにショックで事故後数ヶ月程度の記憶がない。
無論、加害者は交通刑務所へ行ったようだが、刑期が終わればそいつも元の生活に戻ることができる。
もうとっくにシャバに出て自由に生きているのかと思うと、本気で死ねばいいのにと思わざるを得ない。
喪失感は半端なかったが、自分よりも亡くなった彼の家族や恋人が狼狽する姿を間近で見た時、どれだけの苦しみ、悲しみなのだろうかと、やりきれなくなったことを覚えている。
命の重さは、悲しみの数に比例するものだ。
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最後に欲の話をしよう。
欲のままに生きるために、潤沢な資本は欠かせない。
今でこそ貧困に喘ぐ僕だが、それなりの収入を得ていた頃は垂れ流すようにお金を使っていたことがある。
多額の役員報酬は、僕の身の丈に合っていなかったのだろう。
金の使い方などロクに知らない若造が金を持つと、まあそういう使い方をするのだろうという悪い見本みたいな行動をしていた。
住む場所や乗る車、食べるものに飲むもの。
それらにかけられるだけのお金をかけていた。
一般的なお金持ちから見れば、それらは安物ばかりだろうが、それでも僕にとっては十分贅沢だった。
でもそれらは全て無駄なものだった。
自由=金
だからこそ誰もが金を追いかけるが、欲に心を乱されると、金を得るための手段がやや強引になるものだ。
かつてまだ僕が博打に凝っていた頃、とある競馬場である光景を目にした。
安っぽい身なりの中年が、赤ペンで乱暴にマークシートを記入しており、何というかその雰囲気は真剣そのもので、命でも賭けているかの如く鋭い目つきだった。
しかし、その中身をチラッと見てみると、購入総額はわずか200円。
たった200円の馬券に夢を託すなど、貧乏くさいにも程があると嘲笑した。
それが現実であり、堅実な買い方であることを知ったのは、それから数年後のことだった。
生活のために金を得る手段は仕事以外にない。
博打で生を成すのはアウトローを気取ったアホなのだ。
だからこそ、金がない奴にできることではない。
僕が今、サラリーマンとして働いているのは、当時の自分を凌駕したいからである。
地位も収入も全て。
そうして得た大金を持って、僕は家を建て、店を持ち、毎週末に友人を誘って酒を飲みに行く。
もちろんそれらは高価である必要などない。
借金という負い目がなく、自由に生きていきたい。
美人局をやるような人間にならなくてよかったと思うし、ある程度真っ当な価値観を持つことができたことも幸いだ。
価値観はそれぞれだと思うが、僕は美人局という悪質な手口で、未来ある若者を殺したクソみたいな女子中学生を許せない。
なんだか苦しいね。
へば。